1798年にジェンナーが発明し瞬く間に世界にひろがった種痘。
しかし「鎖国」政策下の日本への導入には50年の歳月を要した。
最新技術を日本に伝え、広めようとする苦闘のなかで形成されていった国内外の医師や学者の知的ネットワークを辿りながら、その後の日本の近代化を準備することにもなった彼らの営みを生き生きと描き出す。
感染率だけでなく致死率(少なくとも20%以上)も高い天然痘は1980年にWHOが根絶宣言を行うまで、人類にとって最も危険な伝染病の一つであった。
しかも、天然痘に罹患した場合に有効な治療方法はなく、ジェンナーの牛痘による種痘の発明によって初めて人類は安全で有効な対策を手に入れた。
本書は、1798年にジェンナーがその研究成果を発表した種痘の伝播、さらにはそれが日本にどのようにもたらされ、日本国内でどのように伝播していくか、その伝播を担った人々たちとその人々を結びつけたネットワークについて描いたものである。
基本的には医学史に属すると思うが、門外漢の私が読んでも、理解に困難を感じることはなかった。
ジェンナーが種痘を初めて行ったぐらいしか知らなかった私にとって、ジェンナーの発明以前の天然痘対策である人痘種痘法(人の天然痘ウイルスを利用したワクチン療法)はもちろんのこと、なぜ牛痘によるワクチン療法が画期的だったのか、1798年から1803年までの5年の間にヨーロッパの主要国でジェンナーの本が翻訳され、さらには植民地での接種も開始されているといった伝播のスピードなど、驚くことばかりであった。
さらに、日本にその情報がもたらされたのは、ヨーロッパと遜色のない1803年であったが、痘苗の搬送に幾度も失敗。バタヴィア経由での痘苗による種痘は、ようやく1849年になって成功する。
しかし、ひとたび成功すると、ほぼ半年で日本全土で種痘が行われるようになっていく。
これらの苦闘とともに、情報の到達から種痘の普及までの約半世紀の間に、増加した蘭方医と一部だが漢方医(合わせて7人の医師について特に具体的に書かれている)によって築かれたネットワークが、どのような形で貢献し関与したかが詳述される。
ジェンナーが種痘の技術を公開し、痘苗を請われるままに分け与えたこと、高名なヨーロッパの医学者たちがイギリスの一地方の開業医でしかなかったジェンナーの研究をいち早く評価したこと、オランダ商館長や商館医たちが天然痘を予防するために痘苗を日本に運ぼうと努力したこと、少なくない医学者が弾圧される危険がありながらも蘭方を志し、自らの近くにいる権力者である大名たちを説得し、その子に種痘を施したこと。
そのどれもが、感動を呼ぶ。
もちろん個々の医師の中には功名心を動機としたものもいたかもしれないが、人の命、特に子どもの命を救うため、というのが根底にある動機であったことは間違いない。
そういった人が持つ“善意”とともに、ある種の普遍的な知識(この場合は、医学)を基礎とした横(水平)に広がるネットワークが持つ素晴らしさを改めて実感することができた。
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